ブログ|秋田市土崎の歯医者なら、佐藤歯科医院

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2019年7月29日

 本書は「パーフォーマンスと「成功」の関連を解き明かしたという。                  ・懸命に働いても昇進できず、自分が最初に立てた手柄を後からきた人によこどりされる。          ・才能とまじめさがあっても道は開けない。

・やりとげたことが成功に結びつかないことはよくある。

 これらの意味を分析しどうすればより多くの成功を収めることができるかを記している。

 

[成功の第一の法則]

パーフォーマンスが成功を促す。

パーフォーマンスが測定できない時には、ネットワークが成功を促す。

[成功の第二の法則]

パーフォーマンスには上限があるが、成功には上限がない。

[成功の第三の法則]

過去の成功×適応度=将来の成功

[成功の第四の法則]

チームの成功にはバランスと多様性が不可欠だが、成功を認められるのはひとりだけだ。

[成功の第五の法則]

不屈の精神があれば成功はいつでもやってくる。

 

アインシュタインを例にとりアインシュタインがいかに「成功の法則」にのっているかを解明した。偶然もある、偶然を味方にするにはパーフォーマンス=業績が必要である。

音楽コンクールでは演奏順、フィギュアでは演技順が審査員の採点に大きな影響を及ぼす。

一度賞をとると二度目、三度目の賞も取りやすい。

 定年に達していても成功は可能だと、たのもしいことをいう。なるほどそうであれば明日を信じて生きていくことにしよう。とても面白い本です。書いたのはアルバート=ラズロ・バラバシ教授で米国ノースウェスタン大学のネットワーク研究所所長です。複数の新聞が書評で掲載しています。

 

 

2019年7月13日

 7月1日新しいレーザーを購入しました。歯科用のレーザーにはいろいろな種類がありますが、今回導入したのはNd:YAGレーザーです。

中央が今回導入した新しいレーザー

表示パネル

 

用途は様々です。

 歯周病  歯周ポケット内の殺菌

      歯周病による歯肉の腫れを改善する

      根分岐部(根と根の間)の病変部の炎症を改善する

 感染根管(ばい菌が多く入り込んだ根管)内の殺菌

 根尖病巣(根の先にできたばい菌の巣)の殺菌

 口内炎の治癒の促進

 予防  フッ素塗布後に照射し予防効果を上げる

 

 

多種の領域で使用できる

外科的処置が困難な患者さんでも歯周病を

改善します

 

そのほかレーザーの用途はまだまだあります。

 

2019年6月26日

 吊り橋でこわい思いをしたので、温泉のそばの花壇に行きました。初夏の陽ざしに花は輝いている。

ミヤコワスレ

ピンクのバラ

赤いバラ

黄色のバラ

つぼみのミヤコワスレ

蝶とミヤコワスレ

 

守り神

 花壇の庭園は造成中です。もうすぐ完成です。

2019年6月16日

 6月の週末人里離れた山の中にたたずむ温泉にいきました。

くねくね路を車で走ると、道端の右に茶色の鳥がいます。ヤマドリです。チョコチョコ動き車の前に出てきます。しばらくの間、右へ左へと動き続けます。右端へ寄ったすきに車を動かすと、こんどは左の斜面の沿って速足でついてきます。きれいな羽の人なつっこい鳥です。立派な長い尾があります。

中央にヤマドリ

小走りのヤマドリ

足をとめて小休止

 

 温泉につきます。雲のない青の空を見上げます。線を引いたような飛行機雲が空を2つに分けています。

すがすがしい青空

 温泉の近くに玉川が流れています。水面が青く輝いています。吊り橋はゆれます。橋の真ん中へ行くには深呼吸が必要です。

奥に続く細い路があります

新緑の木々

揺れる吊り橋

吊り橋の上流

吊り橋の下流

 温泉の周りではウグイスなどの鳥がにぎやかにさえづっています。

 

 

2019年6月7日

 政府は今後も増え続ける認知症患者の予防に向けて新な対策を講じようとしています。認知症になる年齢を遅らせ、社会保障費の抑制につなげたい狙いがあるといいます。しかし科学的根拠が不確かなため予防の達成は不透明だといわれています。

認知症の患者さんは歯の注射をいやがります。

 

 数年まえから認知症になり他の歯科医院で治療を受けていましたが、これ以上は治療困難とされ、当院に来られた患者さんがいました。この歯が痛いと何度も指をさし、「痛い」を繰り返し訴えていました。認知症は徐々に進んでいると付き添いの方に言われました。痛いのがとてもつらく局所麻酔を少しでも打つとすぐさま立ち上がろうとします。時間はかかります。思うように口を開けてもらえないので、開口器を使うこともあります。

 認知症とお医者さんに言われたら、早いうちに歯科を受診し、近い将来神経に触るような大きな虫歯や強い痛みを引き起こすような歯の治療を早めにしてください。どの歯に痛みの原因があるのか判断しかねることがあるからです。

2019年5月21日

自宅の庭に春の花が咲きました。

白のライラック

陽を浴びてうれしそうです

タイムロンギカウリス

にぎやかに咲いています

シャクナゲのつぼみ 夏はもうすぐ

2019年5月4日

 GWに東京都目黒区駒場(駒場公園内)にある日本近代文学館に行きました。京王井の頭線の駒場東大駅で降りて西側の坂を上った森の中に建っています。近くに日本民藝館や旧前田侯爵邸があります。

駒場公園入口

入り口横の案内版

 グレーの四角い建物の階段を上り中に入ると、正面に日本近代文学館のこれまでのなりたちが書かれたパネルがかけられ、ひんやりとした空気が漂っていました。再び階段を上って二階に行くと、「太宰治 創作の舞台裏」展が開かれていました。新に発見された創作に関わる資料に重きを置いた展示です。特に「お伽草紙」の完全原稿は注目に値する資料だそうです。太宰の人気は衰えを知らないかのようです。

日本近代文学館の全景

高見順の銅像

展示室入り口

 同じ二階に「川端康成の青春」が開催されていました。伊藤初代との恋、「伊豆の踊子」の執筆など、川端康成の青春期の活動に焦点を絞って解説していました。旧軽に川端康成は別荘を持っていたが、女好きの川端さんの原稿は男の編集者ではとれぬため、各社は選り抜きの美女を担当させた、と北杜夫が『見知らぬ国へ』で記していました。

 時代や社会の変化のなかで日本の文学が歩んだ資料の散逸を防ごうと、高見順や小田切進らの有志の文学者・研究者たちが立ち上がって、1963年4月に各方面の協力のもと日本近代文学館は設立されました。二階の一角には高見順の銅像が置かれています。設立準備で大忙しの高見順は、この頃がんをわずらっていましたが、生きているうちに文学館を何としてもつくりたいと、必死の執念でのぞんだ。そのようなことを安岡章太郎がある本に書いていました。

 日本近代文学館は年間を通して様々な活動をしています。

 

2019年4月21日

 近所の桜が見ごろとなりました。いつもより早く咲くとも言われましたが、寒い日もあり開花日は平年並みのようです。住宅街なので車の通りは少ない。

用水路の両岸に咲く桜

この季節を待ってたかのように咲きました

手が届きそうです

家族づれで散策

写真を撮る方も多かった

 

澄み切った青空

反対側から撮りました

近くには八橋油田の井戸が数か所あり今でも活動しています。

2019年4月7日

 今日は小川未明(本名は小川建作)の誕生日です。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれた未明は明治の初期に新潟県高田(いまの上越市)に生まれました。東京専門学校(いまの早稲田大学)に入り、坪内逍遥や島村抱月から指導を受け、ラフカディオ・ハーンの講義に感銘を受けました。卒業後早稲田童話会を立ち上げ、童話に専念すると決めました。

 短編作品に才能を発揮し、「赤い蝋燭と人魚」、「月夜と眼鏡」、「金の輪」などが代表作といわれます。

「月夜と眼鏡」はかつて国語の教科書に載っていました。ランプの灯火のもとで眼鏡をかけたお婆さんが針仕事をしてる絵が添えられていました。

 短期な性格で物事に固執しなかったといわれます。

 

本の表紙

 

口絵

 大正10年に発表された『赤い蝋燭と人魚の』序文には以下のように記されています。

・・・童話は子供を愛さなくては書けない。子供に対して愛あるもののみが童話を書く特権を有していると思う。芸術の中で最も純なるものは、詩と童話であろう。

 童話を書くことの使命感と愛着がうかがえる文章です。

 1882年(明治15年)4月7日ー1961年(昭和36年)5月11日 79歳

 

2019年3月30日

 

 五城目町出身で昭和のはじめ頃活動した作家・矢田津世子(やだつせこ)の業績を伝える文学記念室へ行きました。五城目町のほぼ中心に位置する交流施設「五城館」に、平成7年に開設されました。

 矢田津世子は1907年(明治40年)6月19日に生まれ1944年(昭和19)年3月14日に肺結核で亡くなりました。津世子の作家活動と坂口安吾、川端康成、横光利一、芹沢光次良、佐田稲子、壺井栄たちと交わした書簡、自筆原稿、愛用品などが展示されています。

五城館入り口

 

五城館

記念室

原稿などを展示している

保存のいい着物

 1936年に発表した『神楽坂』は第3回芥川賞候補に選ばれ、文章力のある作家として人気がありました。川端康成は津世子を手堅い作家と評しました。『茶粥の記』が高い評価を受けました。津世子の多くの作品に、秋田にゆかりを持つ人物や場面が出てきます。農村の描写がとくにすぐれているといわれます。作家の吉屋信子は津世子の印象を松竹少女歌劇の男装スターのようだったと言っています。さらに『茶粥の記』は名品であり、読んだときたいへん感動したそうです。

 五城館を院内のスクリーンシェーバーに流したら、関心を持たれた患者さんがさっそく訪れたこともありました。

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