2018年9月17日
三沢市が寺山修司を顕彰して市民の森公園に建てた記念館へ行ってきました。寺山修司は歌人でもあり、劇作家でもあり、劇団「天井桟敷」の主宰でもありました。様々な分野で活動し、多くの文芸作品を残しました。青森高校では新聞部と文芸部に入り、俳句雑誌を創刊し活動しました。早稲田大学入学後、学んだ短歌で新人賞を受賞するも、やむなく病気で退学しました。それでも病気にめげず特急列車のように47年の人生をひたすら走り続けました。
正面の入り口
風変わりな扉
まじめな小学生のような原稿文字
異世界の雰囲気のアート
妖しげな女性像
寺山修司に関連した数々の本
記念館の近くの文学碑 二首の短歌が刻まれている
左 マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや
右 君のため一つの声とわれならん失いし日を歌わんために
文学碑から小田内沼を望む
寺山修司は歯に関わる歌も詠んでいます。
子守唄義歯もて唄ひくれし母死して炉辺に義歯をのこせり
小川まで義歯を洗ひに来し農夫しばらくおのが顔うつしをり
亡き父の歯刷子(はぶらし)一つ捨てにゆき断崖の青しばらく見つむ
寺山修司(てらやま しゅうじ)
青森県弘前市に生まれる。長男。代表作『われに5月を』『田園に死す』など。
1935年(昭和10年)12月10日-1983年(昭和58年)5月4日