2018年6月16日
連休の後半にもう一つの展覧会「横山大観展」を見ました。パンフレットの表紙は≪群青の富士≫です。群青、黄、白の3色で構成されています。とてもモダンで今度の東京オリンピックのポスターに選ばれてもいいくらいです。大観はその生涯で数多くの富士を描きましたが「富士は難しい。満足な富士を描けない」といつも言っていたそうです。今年は大観が誕生して150年にあたりますが、その画業は近代日本画の歩みそのものと言われています。
皇居のお堀のそばに建つ東京国立近代美術館が展覧会の会場です。早い時間のせいか、入場待ちの人はそれほどでもなかったのですが、いざ会場に入るやかなりの混雑でした。
日本画の巨匠と称賛される大観の人生は、苦労の連続でした。絵はまったく売れず、妻の文子や長女の初音が病死するなど、不幸が重なったこともありました。「俺の絵は完成していない」「まだ勉強が足りない」と常に言っていたそうです。生涯、一人として弟子は取りませんでした。1904年に米国で大観と親友菱田春草の展覧会が開かれています。太平洋戦争後も画筆を握り活動し、多くの画家に影響を与えました。本当に名前の通りスケールの大きな人物です。第1回文化勲章を受章しました。
常陸国水戸(今の茨城県水戸市下市)に生まれる。長男。
1868年11月2日(明治元年9月18日)-1958年(昭和33年)2月26日