ブログ|秋田市土崎の歯医者なら、佐藤歯科医院

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2018年7月25日

  1886年、英国国教会宣教師が訪れたことがきっかけとなり、軽井沢に教会文化が生まれました。軽井沢教会は1921年に誕生し、北原白秋や島崎藤村らの文化人集った歴史ある教会です。その教会で親族の結婚式があり参列しました。

 

朝の散歩のとき教会の屋根の上に太陽が輝いていました。

 

教会に隣接するホテルで休憩しました。

  軽井沢教会から少し離れた地に、バームクーヘンを並べたような石造りの建物が横たわっています。「石の教会・内村鑑三記念堂」です。キリスト教指導者の内村鑑三の顕彰を目的として建てられた教会で、地上は礼拝堂、地下は内村鑑三記念堂となっています。アメリカ人建築家ケンドリック・ケロッグが設計しました。

  石の教会で結婚式も挙げられるが、参列者は40人以下とされています。記念堂には内村鑑三の生涯と業績がパネルで展示されています。その隣に「Dentistry is a Work of Love」と書かれたパネルがあり、説明文には次のように記されていました。「歯科医療たるは愛の御業なり もともと歯が丈夫でなかった内村鑑三にとって、マイクロフォン、拡声器のない時代の肉声の講演は苦労があり、入れ歯の調整には特に気を使っていた。大正14(1925)年夏、ほしの温泉滞在中、何度か小諸の歯医者に通った折書いたものである」。

 

足尾銅山を訪れた後で内村は次のような文章を書きました。

「官吏と商人とは相結託してつみなき援助なき農夫職工らのあぶらを絞るに至りては、そのけ憲法はいかに立派でも、その軍備はいかに完全していても、その大臣はいかにかしこい人たちであっても、その教育はいかに高尚でも、かくのごとき国民はすでに亡国の民であって、ただわずかに国家の形骸を存しているまでである」。『内村鑑三』(若松英輔著)より引用。

 

内村鑑三(うちむら かんぞう) キリスト教思想家、文学者、伝道者。無教会主義を唱え『代表的日本人』を著した。武蔵国江戸小石川(今の東京都文京区小石川)に生まれる。1861年3月23日(万延2年2月13日)ー1930年(昭和5年)3月28日